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【ニュース】森岡ボクシングジム所属のワルリト・パレナス選手が井上尚弥戦を振り返る

はい、こんにちは!

かわマガ@けいたろうです。



今日は川西市のスポーツ関連の記事の紹介です。

川西市大和にある、森岡ボクシングジム所属の選手兼トレーナーのワルリト・パレナス選手が現代ビジネスのルポに登場しています。

 

森岡ボクシングジムの地図はこちら

森岡ボクシングジムHP

この「怪物に敗れた男たち」というシリーズ、井上尚弥というボクサーの凄さだけでなく、敗れたボクサーと、ボクシング自体の魅力にスポットをあてた素晴らしいルポになってます。

ぜひどうぞ↓

以下、現代ビジネスから引用

5/18(土) 17:00配信

現代ビジネス

 WBA世界バンタム級王者の井上尚弥(大橋ジム)が、まもなく最強決定トーナメント「WBSS」(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)準決勝のリングに上がる。

これまで井上に敗れた佐野友樹、河野公平から話を聞いた。リング上で怪物と対峙し、何を感じ、今、何を思うのか。その証言から井上の強さを浮き彫りにするのが連載の狙いだ。

今回、初めて外国人ボクサーを取材した。フィリピン出身のワルリト・パレナス。ボクシングファンには、かつて勝又ジムに所属した「ウォーズ・カツマタ」として知られ、現在は森岡ジムに所属する日本に馴染み深い選手。井上尚弥プロ9戦目の対戦相手だ。

取材を終えると、パレナスがリング上で体感した「怪物」を描くとともに、フィリピンに家族を残し、日本で闘うボクサーの物語も伝えたいと強く感じていた。

家族のために、町中の子どもたちのために

 勝てば100ペソを握りしめ、負ければ50ペソをポケットに突っ込んだ。日本円に換算すると、勝者は約200円、敗者は約100円。フィリピンの小さな町に住む少年にとっては死活問題だった。

ワルリト・パレナス。ニックネームは「ウォズ」。彼のボクシング人生は12歳からファイトマネーとともに始まった。

「毎週土曜日、アマチュアの試合があってね。草ボクシングのようなもので、お金がもらえたのさ。私の家は農家で貧しかったから、自分で稼いでいたんだ」

フィリピン・ネグロス島、海沿いの町カディスに生まれた。3人姉弟の2番目。異母兄弟もいる複雑な家庭環境。12歳からボクシングを始め、同時に漁師のアルバイトにも励んだ。

「フィリピンでボクシングはメジャースポーツだから、父から『やったらどうだ? 』と言われたけど、最初は怖かったんだ。でも初めての試合で勝ったとき、すごく興奮したんだ。そのとき分かった。勝ってお金を稼げば、自分もみんなも幸せになる。世界チャンピオンになって、お金持ちになれば、両親や兄妹を助けられる、ってね」

ボクシングは自らの生活のため。それが家族のためとなり、2015年12月29日、東京・有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級王者の井上に挑んだときには、親類のため、町中の子どもたちのためにまで広がっていた。

みんなが「マネー」「マネー」と言ってくる

 2007年4月、プロデビュー。しかし、試合を重ねても、ファイトマネーはほとんどもらえなかった。3年が過ぎたころ、既に世界王者となっていた亀田興毅、大毅のスパーリングパートナーに抜擢された。

「グッドスパーリングだったと思う。それを見た勝又ジムがオファーをしてくれた。『日本でやるか? 』と聞かれて『やりたい』と即答したよ。これはチャンスだ、と。妻も子どももいる。日本で試合をして、名前を売って、稼がないといけなかったんだ」

家族と離れ、日本を主戦場に移す。勝又ジム(東京都江戸川区)所属となり、リングネームは「ウォーズ・カツマタ」。2011年4月に日本初戦を行い、強烈な右ストレートを武器にKOの山を築いた。昼間は練習や亀田兄弟とのスパーリング、夜はフィリピンパブで働く。稼いだお金は全てフィリピンへ送った。

「日本に来てから、フィリピンの妻と子どもだけでなく、両親、姉弟、親類をサポートするようになったんだ。みんなが『マネー』と言って私を頼ってくる。家族のことばかり考えていたね」

ところが日本での初めての生活は計1年半、7戦(6勝6KO1敗)しか続かなかった。2012年11月の試合を最後に、体調を崩し、フィリピンへ帰った。

フィリピンで住みやすい都市の一つ、ネグロス島西部のバコロドで暮らす。さとうきび畑が広がり、人々は温かい。パレナスは家族と穏やかな日々を送り、しばらく静養した。少しずつ体調が戻ってきたころ、今度はフィリピンにコネクションのあるユナイテッドジム(東京都江戸川区)から「もう1回やったらどうだ」と声がかかった。

江戸川区にあるジム近くの寮に住みながら、トレーナー業に励み、試合はフィリピン・マニラで行った。

「そこから約1年で6連勝さ。地域タイトルをとったり、ランキングを地道に上げていって、世界ランク1位になった。井上が(右拳を)けがしている間、WBO暫定王座決定戦でメキシコに行ったんだ」

のちに井上とも対戦するダビド・カルモナ(メキシコ)と闘い、惜しくもドロー。
そして、オマール・ナルバエス(アルゼンチン)戦で右拳を痛め、休養していた井上から防衛戦のオファーが舞い込んできた。

「お前は300万円の選手じゃないぞ」

 当時、2階級制覇王者の井上は8勝7KO無敗の22歳。パレナスは24勝21KO6敗1分の32歳。右の一発には自信があった。

提示されたファイトマネーは300万円。世界ランキング1位を維持していたため、指名試合として行われることになった。挑戦者としてはまずまずの額といっていい。

「とても興奮したね。やっとチャンピオンと闘える。小さいころからの夢だった世界チャンピオンになれると思ったんだ。」

パレナスを指導していたのはエドウィン・バレロ(ベネズエラ)、内山高志らとの対戦経験がある阪東ヒーロー。井上戦での勝機を見出していた。阪東が言う。

「ウォズはスーパーフライだけど(3階級上の)フェザー級のパンチを持っていた。井上君は右拳の故障明けで、どうなるか分からない。プレッシャーをかけながら後半勝負で勝てるかなという考えがあった」

試合を翌日に控えた2015年12月28日。東京都内のホテルで計量が行われた。パレナスが計量をクリアすると、陣営はファイトマネーの300万円をパレナスに渡した。これまで手にしてきた額より一桁多い。

計量後にファイトマネーをもらうのは、ボクシング界の通例だ。だが、そのとき、阪東は「彼にとっては相当な額。これで心が満たされたら困るな」と思ったという。だからこそ諭すように言った。

「ウォズ、おまえは300万円の選手じゃないぞ。この試合に勝てばゼロがもう一個増える。もっと稼げるんだ。明日、勝とう」

その言葉にパレナスは黙って頷いた。

兵庫県川西市にある森岡ジムの事務所。私は現在パレナスが所属するこのジムへ向かい、彼に井上との試合を振り返ってもらおうと思った。パレナスは取材前にトイレへ行き、以降、30分おきに席を立って用を足す。「緊張している?」と尋ねると、人の良さそうな顔で「少しだけ」と答えた。

会話を聞いていた会長の森岡和則は「ウォズはいつもトイレに行ってばかりなんですよ」と言って、笑った。

DVDプレーヤーで井上戦を再生する。パレナスは「これまで何回も見ている。負けた試合は勉強になるんだ」とつぶやいた。

「イノウエ、パンチ、ツヨイ…」

 ゴングが鳴った。両者が軽くグローブタッチをする。井上にとって1年ぶりとなる試合。少し様子を見るのかと思いきや、すぐに動き出す。開始12秒。ボディーへの左から右ストレート、左のアッパー2連発が飛んできた。威嚇するような素早いコンビネーション。速い。観客から感嘆のため息が漏れ、会場の視線が釘付けになる。ガードで防いだパレナスは大きく首を振った。

「井上のパンチはとてもとても速かった。それと重い重いパンチだった。これまでのボクサーとは明らかに違う。初めての経験だね。でも、首を振って、見ている人たちに『効いてないよ』と伝えたかったんだ。実際にダメージはなかったからね」

セコンドの阪東の見方は少し違った。首を振った瞬間、「心が折れちゃったかな」と察知した。

「ウォズは思っていたより(井上の)スピードが速い、パンチが強いと認識しちゃったんです。あれで体が固まっちゃった」

開始からわずか12秒。パレナスは井上尚弥というモンスターを体感した。異次元のスピードとパンチの強さ。当初の作戦は体を振りながら、プレスをかける。井上を下がらせて、得意の右を放つ。だが、気持ちがついてこない。弱気が顔をのぞかせ、動きが硬くなり、実行できなくなってしまう。

1分半すぎ。左フックから右、またも左アッパー2発のコンビネーションをもらう。ガードの堅いパレナスは再び首を振って、にやりと笑った。

「やっぱりお客さんに大丈夫だとみせたかったんだ。だけど、実際は少しフラフラした。頭がクラクラする、とても強いパンチだった」

カウンターを狙っても、相手は速すぎて、もうその場所にはいなかったという。井上に翻弄され、第1ラウンドが終わった。

コーナーに戻ってきたパレナスに阪東がアドバイスを送る。「動きが硬い。もっと体を動かそう。体を振りながらプレスをかけていこう。ウォズ、おまえの攻撃は間違いなく強いんだ」。すると、パレナスが日本語でぽつりと言った。

「イノウエ、パンチ、ツヨイ…」

第2ラウンド。パレナスも前へ出る。しかし、40秒すぎ、離れ際の左フックを顔面に食らった。「あのパンチはグレートだった。ダメージがあった」。その後ロープに詰められ、連打を浴びる。一瞬、「離れたかな」と思ったと同時に、左、右、左、右と飛んできた。両腕のガードの上から浴びたパンチ。だが、体ごと吹き飛ばされた。軽量級とは思えない、鮮烈のダウンシーン。パレナスは信じられなかった。

「アマチュアから何百試合とやってきたけど、あんなの初めて。ガードをしているのに……。他のボクサーとナオヤ・イノウエはまったく違う生きものなのか。天から与えられた才能があるのか、と思ったね」

間近で見ていた阪東は井上のパンチをこう分析した。

「しっかり足を蹴ったそのエネルギーが拳の先まで伝わる。それを繰り返していて、そのスピードが速い。しかも打つときに、最後しっかり拳を握っているので、強いパンチになる。速いだけならガードで弾けるんだけど……。あれは硬くて強いパンチだと思う」

わずか5分で崩壊

 パレナスは足元がふらつきながらも立ち上がった。「耐えて、凌ぐ。なんとか持ちこたえて、回復しよう」。頭の中でこのラウンドの方向性が定まったとき、井上は既に距離を詰め、迫ってきていた。倒しに来ている。大きな左フックを浴びた。「ハンマーで殴られたようだった」。後ずさりする。続けざまに右、左とパンチを浴び、リングにひざまずくようにダウンを喫した。レフェリーがカウントを数える。

1,2、3…。

その瞬間、パレナスは右拳をリングにたたきつけた。本来なら井上にたたき込むはずだった右拳。それをリングに向けて放ったのだ。

「とてもがっかりしたんだ。ここまで頑張ってランキングを上げて、ようやく世界戦まで来て、チャンピオンになれると思った。夢のため精一杯やってきた。それがたった2ラウンドで終わってしまう。負ければランキングも下がる。全てを失う。自分自身への失望と怒り。それでリングを叩いたんだ」

世界の頂点を目指し、12歳から20年かけて歩んできた。世界ランクという階段を一歩一歩上がってきた。あと少しで頂点に立てるところまでたどり着いた。それなのに……。

2回1分20秒TKO負け。これまで積み上げてきたものが、5分足らずで崩れ落ちた。

3年以上経った今なお、阪東には悔恨の念がある。

「自分はウォズをすごく買っていたので、あの試合はもう少しできたと思う。言い方は悪いけど、びびった状態なんで、(ガードの上からでも)効いちゃった。もちろん想像以上のパンチだったと思う。プラス、心が折れていたんで倒れちゃった。リングを叩く余裕があったので、まだいけると思ったら諦めた。まあ、難しいところなんですけどね」

歯がゆさ。もどかしさがある。言葉を選びながら続けた。

「ボクシングへの考え方が日本とは違うのかもしれない。もう少しやってほしかったけど、ウォズは身の危険を感じたのかな」

日本人は最後の最後まで諦めず1%でも可能性がある限り闘い抜き、逆転にかける。それが美徳とされる。しかし、力の差を感じ取ったならば、致命傷を負わずにリングを降りるというのも一つの考え方かもしれない。もうパレナスの体は自分一人のものではないのだ。妻、子ども、両親、兄妹、親類、町中のこどもたち…何十人の生活を背負っている。

もちろん、パレナスは勝つ気でリングに上がった。倒す気持ちで挑んだ。手を抜くことは一切なかった。だが、開始12秒のコンビネーションで実力差が分かり、時間の経過とともに、心は折れ、致命的なダメージは受けなくても、もう勝てないと悟ってしまった。その決断を誰が責めることができようか。リングに向けた拳。それは自分自身への怒りであり、敗北を認めたパンチでもあったのだ。

試合のDVDを止めると、「井上はモンスター、それは真実だったよ」と言い残し、4度目のトイレへと席を立った。

「イノウエはパッキャオになれる男」

 ファイトマネーで手にした300万円で、パレナスはフィリピンに家を建て、家族のために車を購入した。

井上戦の後、しばらくリングから遠ざかった。半年以上が過ぎた2016年夏。現在所属する森岡ジムからスパーリングパートナーの依頼が来た。森岡が振り返る。

「スパーが終わったら、フィリピンに帰って引退すると言うから、『うちでトレーナーとして来るか? 』という話になった。そしたら、そのうちウォズから『日本で試合をしていいですか』となったんです」

トレーナー兼選手。森岡ジムに住み込みで給料をもらう。衣食住に不自由はない。毎週お小遣いまでもらえる。半年に1回、フィリピンへ帰るときには渡航費も出る。

勝又ジムから始まり、リングから離れてしばらくすると、ユナイテッド、森岡ジムと日本から声がかかる。森岡はパレナスの性格を「日本人に似ている」とみている。

「すごく優しいですよね。気配りというか。何かあっても我慢して言わない。溜めてしまう。でもすぐに顔に出るから『何を悩んでいるんだ? 』と分かるんですけどね」

井上戦以来、2年ぶりに再起。2試合をKOで飾った後、WBOアジア・パシフィック王座決定戦で船井龍一(ワタナベ)に8回KO負け。引退を考えたが、フィリピンの妻からは「ウォズ、あなたはまだ強いよ。頑張って」と鼓舞され、再びリングへ。昨年12月、石田匠(井岡)に判定で敗れ、また進退に悩む。

「ことし36歳。まだ闘いたい。でもボクシングもトレーニングもハード。常に悩んでいる。大切なのは働くこと。フィリピンでは『マネー、マネー』と言われるからね」

パレナスは毎月の給料から1万円だけ手元に置き、残り全てを送金している。日本で銀行口座を持てないため、大阪・梅田まで行き、手続きをする。交通費、送金手数料を引くと、6000円程度しか残らない。

父は2年前から病気を患い、昨年末、天国へ旅立った。入院代から葬儀代までパレナスが一人で負担した。妻と二人の子ども、母はもちろん、姉弟、妻の家族、妻の弟の子どもまで面倒をみている。

クリスマスにはサンタクロースとなり、親のいない子どもたち約50人を集めて、プレゼントを配る。2018年は船井龍一、石田匠という二人の日本人ボクサーと戦いいずれも敗北。船井戦のファイトマネー40万円、石田戦の30万円も全て故郷へ持ち帰った。

「フィリピンと日本では文化が違うんだ。家族や親類に仕事がなければ、サポートしたり、お金をあげる。ネグロス島の男の人たちにはあまり仕事がない。稼げる人がみんなを支える。闘えばファイトマネーを送ってあげられる。だから、どうしてももう1回闘おうと考えてしまう」

ボクシング人生を振り返ったとき、井上戦は分岐点であり、勲章にもなっている。

「私にとって大きな栄誉。彼はナイスガイで、闘えたことが幸せ。井上はとても強くて人気がある。彼と闘ったことによって、多くの人に知ってもらえた。マニー・パッキャオはフィリピンだけでなく世界でオンリーワン。だけど、もしかしたらナオヤ・イノウエも同じようになるかもしれない」

井上尚弥の凄さ。それは、敗者があまりの強さに脱帽し、拳を交えたことに感謝し、誇りにさえ思うことではないか。真のチャンピオンは闘った相手に恩恵をもたらし、幸せにする。パレナスは井上戦のファイトマネーで家を建て、車を買い、家族、親類を養った。「井上と闘った男」として、知名度も上がった。たとえ、敗れようが、人生の幸福の道をひらいたのだ。

ただし、ときどき頭をよぎることがある。冗談めかしてこう言った。

「もし、イノウエが同じ時代にいなければ、もしくは彼のけががもう少しだけ長引いたとしたら、私が世界チャンピオンになっていただろうね」

2019年5月10日、東京・後楽園ホール。東洋太平洋タイトルマッチ。パレナスは再びリングに上がった。プロ37戦目。35秒KO負け。もう衰えは隠せなかった。

「今後、どうするかわからない。でも、もうトレーナーに専念しないといけないね」

控え室で肩を落としたまま、寂しげな、そして、力のない声でそう言った。

12歳からファイトマネーとともに、支えとなってきた世界チャンピオンの夢。今は遙か遠くにある。

引用ここまで

ヤフーニュースも参照


すごくいい記事ですねえ。

このシリーズは他に2つあって

①井上尚弥に敗れた男が初めて明かす「モンスターの実像」

 

②「井上尚弥はすべてが理想形」敗れた元世界王者が語る怪物の実像

 

どちらも必見の読み応えのある記事になってます。

ご興味のある方はぜひご一読を!

 



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